文教堂ファンⅢ

ヒガシクワンバス釣りカーライフYouTubeを中心とした宅建士、転職、元文教堂書店店長の読書感想文やアルバイトマニュアルを分かりやすく解説

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はじめまして文教堂ファンⅢ管理人 higasiku1(ヒガシクワン)です。

バス釣り、宅建士資格、ランキング、雑誌(付録)、ビジネス書、絵本などの売れ筋情報はもちろん、実際に本を読んでのあらすじや感想文などを書店目線で書き綴っていきたいと思います。

また書店業界の裏事情、趣味の自動車(PRIUS)記事、動画やライフハック等の記事を様々な角度から提供するブログです。

いままでライブドアブログで文教堂ファンを運営していました。

これからはワードプレスにて運営していきたいと思います。

運営者の略歴

higasiku1(ヒガシクワン)

1971年生まれ ふたご座 B型 茨城県出身 妻、子供H8生、H15生 の4人家族

高校卒業後、日建学院に入学し宅建士(宅地建物取引士)を目指ししていました。

その時アルバイトをしていた文教堂書店で本の魅力にどっぷり浸かり資格を取得したのですが、不動産屋に就職せず、そのまま文教堂書店の正社員になりました。

22歳の時店長に任命され、現在、3店舗目を任されています。

2018年1月文教堂を退職。

2019年1月不動産屋に転職

2018年9月不動産屋を退職

2018年10月より物流会社に勤務中です。

フォークリフトに乗っていろいろ仕事してます。

その他

「生きる」稲盛和夫 サンマーク出版読書感想文。

都営地下鉄中吊り広告掲載

ラジオおはようサンデー本屋さんにいこう3回出演。

基本スペック

普通自動車免許

まずこれが無いと自動車の試

乗ブログが書けない!?

 

中型二輪免許

400ccまではバイク乗れます

 

宅地建物取引士

現在も5年に1回の講習受けて更新しています

 

フォークリフト免許

仕事で毎日乗ってます

 

玉掛け

みんな合格できる

 

ホイストクレーン

みんな合格できる

 

過去の経歴

生まれは茨城、まわりは田んぼが多く田舎です。

近くにはJRの駅、高速インターチェンジもあります。

のどかなとこだと思います。

幼少時代

3つ上の兄と近所の幼なじみと日が暮れるまで遊んでいました。

小学生時代

小学3年生までは、3つ上に兄と同じ地区の子と登校してました。

よく回りの大人たちからは大人しい子だねと良く言われました。

足が速く短距離走では、同学年では3本の指に入るくらい速かったです。

 

陸上競技会では、リレーでアンカーを任されました。

スポ―ツ少年団で小学5年生からサッカーを始めました。

小学6年の時キャプテンに任命されました。

ポジションはフォワード(攻撃)から、ゴールキーパーまで全部やりました。

中学生時代

中学に入学すると、サッカー部に入部しました。毎日がサッカー浸けでした。夜ボールが見えなくなるまで練習をしてました。

中学2年生の時に腰を痛めました。

普通に生活してる分には大丈夫でした。

 

しかしボールを蹴る時に腰をひねるので激痛でした。

半年くらい部活を見学していました。

みんなの目が「いつまで休んでんだよ」という風に見えました。

 

退部届を出しました。

しかしサッカー部の先生は、「OO小学校出身はお前だけなんだぞ本当にいいのか?」とか部活の同級生は「大丈夫だよそのうち治るよ、ポジション空けて待ってるよ」と励まされて退部は取り消しました。

それから何か月後良い接骨院に恵まれ腰のほうは完治しました。

中学時代の一番の挫折と感動でした。

高校時代

オートバイが大好きで、原付免許が取れる学校が受験候補でした。

当時免許が取れる高校は地元で2校ぐらいしか無くもう一つの学校は偏差値が高かったので無理でした。

見事高校に合格しました。

 

まず高校生になったらやりたかった事が、バイクの免許とバンドでした。

もちろんサッカー部にも入部しました。

バイクとバンドとサッカー浸けでした。

サッカー部は、バイトが入ってたり、気が乗らない場合があるとみんな休んでいたので、ある意味同好会状態でした。

サッカーは中学で燃え尽きた感じだったので私にはちょうど良かったです。

 

文教堂時代

宅建士の勉強をするために日建学園に通っていました。

週に1日だけのスクーリングでした。

学校以外の日の日中は自宅で宅建士の勉強をしていました。

 

気晴らしと自分の趣味の両立もあって近所の文教堂書店にアルバイトに入りました。

夕方の5時から10時の勤務でした。

週6でやってました。

 

実は宅建士の資格に合格したのですが、入ろうと思った不動産屋が倒産したのと、履歴書を送った住宅メーカーに書類選考で落ちたのがきっかけで文教堂に入社してしまいました。

当時文教堂は、100店舗めざして頑張っていたのと株式上場に向けて業績が良かったので店長のすすめもあって入社しました。

19歳の時に入社して22歳の時に店長になりました。

 

当時はやればやっただけ売上もあがり無我夢中で仕事してた感じです。

店舗の成績も良く念願の社長賞もいただきました。

その月は給料と賞与も合わせると7ケタに届きました。

 

その後3店舗を転々としながら3店舗目で店舗の老朽化と売上不振もあって閉店しました。

会社自体の業績も右下がりで、移動できる店舗もなくなり25年所属した文教堂を退職しました。

会社としては、自由にやらせてもらえる傾向の会社だったと思います。

 

葬祭会社時代

文教堂を退職すると決めてから転職活動をしていました。

しかし、退職日までには次の就職先は決まりませんでした。

焦りに焦った私は、早く職を見つけないとと思いました。

 

ある日妻が新聞折込広告の求人広告で、葬祭会社の求人広告を見つけました。

給料も良かったほうだと思います。

その日に連絡をして次の日に面接をすることになりました。

 

面接場所は、集合したセレモニー場ではありませんでした。

社長は、腹が減ったということで、近くのファミレスでの面接でした。

社長が頼んでくれたハンバーグセットを食べながらの面接でした。

 

なんと社長は、出版社でも働いたことがある人物でした。

どこの出版社かは、教えてもらえませんでした。

出版、書店の業界の事がポンポン出てくるのでウソじゃないと思いました。

 

私の履歴書を見ながらいつから来れる?と言いました。

その場で採用になりました。

しかし、私が思っていた葬儀屋とは違いました。

 

私が思ってした葬儀屋とは?

  • 亡くなった方の自宅に行って葬儀の打合せ
  • ご遺体の納棺など
  • 当日の葬儀の進行

ド素人ながらそうだと思いました。

 

実際のお仕事は、互助会の営業でした。

互助会とは、お金のかかる葬儀を生存時から分割で払っていくことです。

毎月二千円から三千円です。

 

毎日50件から70件ポスティングや飛び込みします。

生存者に葬儀の営業ですからもちろん嫌われます。

2度と来るなと言われることも多いです。

 

断られることが多い営業です。

ノルマが週に2件取らなくてはいけません。

親戚、友人、家族も当たってもう限界です。

 

入社した日から何かおかしい。

こんなことするために入った訳じゃないと思いました。

結局は、1週間で辞めました。

 

まだ研修期間だったのですぐ辞められました。

社長はいい人でしたが、私の中で互助会営業は長くできないと思い即決断しました。

 

不動産会社時代

元々宅建士という資格を持っていたので、不動産会社には興味はありました。

正直なところ、文教堂を辞めてから、まわりが、これからは年寄りがたくさん死ぬ時代だからと葬儀屋がいいなんて言うから受けたのでありました。

葬儀家が自分に向かないということが分かったので、本命の不動産会社の面接を受ける事にしました。

A社とB社の面接を申し込みました。

最初から面接なので書類選考はクリアでした。

 

A社の面接は3日後、B社の面接は明日となりました。

B社の面接を先に受けました。

午前中に面接をし、夕方には連絡が着て採用になりました。

 

次い控えるA社に面接の辞退を連絡しました。

たくさんの書類選考、面接を落とされてきたので、すぐにB社に決めてしまいました。

この判断が、間違いの元だった事に気が付きませんでした。

 

B不動産会社は、まわりから聞く情報では、あまり良い印象では、ありませんでした。

知り合いからは「え!そこにしたの?!」と言われたりしました。

ここの不動産会社はとにかく入れ替わりが激しいです。

 

もっとも長く勤めている人で、3年でした。

入ってもすぐ辞めていくらしいです。

その理由は、超ワンマンな社長でした。

 

主に賃貸業務をしていました。

自社物件が多く 客付け、契約、管理などやっていました。

契約は、私が宅建士だったので、よく重要事項を読んでいました。

 

なんと私が来るまでの間この会社は、契約で宅建士に重要事項の説明をさせていないことがわかりました。

この会社で宅建を持って不動産業に携わっている人は私しかいませんでした。

いままで、主に建設部門の方で宅建士持ってる方がいたので、契約書等をすべてこの人の名前でした。

 

ワンマン社長は、とにかく「アレやってくれ、これやってくれ」と指示が多い。

前の仕事が終わらないうちにどんどん指示を出してきます。

終わっていないと「コノヤロー」と罵声が飛びました。

 

私はもうアップアップになってしまい、もう辞めてやろうと思い、次の転職先を探して求人サイトに登録しました。

転職先が決まったらすぐ辞めたいと思いました。

会社のきまりでは、すぐ辞められないみたいで、1か月先になるようです。

 

不動産会社の定休の日に違う会社の面接に行きました。

1週間後に採用の連絡をいただきました。

これですぐに辞められると思いました。

 

これからは、会社に迷惑にならない程度にわざとミス連発して、ついに社長が「もう辞めろ」と言ってきたので、

「今日付けで辞めさせてもらいます」と言いその日に辞められました。

1年くらいの勤務でしたが、賃貸業務は、そこそこわかったと思いました。

 

最初のあの時、A社を受けていたらどうなっていたか、考える時もあります。

だいたい不動産会社での賃貸業務あたりはマスターできたので悔いはありませんでした。

次ぎの転職先に不動産会社を受けるつもりはありませんでした。

 

不動産会社ってライバル会社にも営業をします。

土地建物の賃貸、売買などの情報の共有もあります。

少しは知り合いになります。

 

今でも、他社の不動産会社から「今、何やってんの、ウチで募集してるけど、どう?」と連絡があります。

どこの不動産会社でも宅建士は不足してるようです。

毎回、今はちょっと無理と答えています。

 

物流会社時代

不動産会社を辞めて物流会社に入社しました。

コンビナートの中のお仕事です。

トラックからテント倉庫に原料を搬入したり、出来上がったものをトラックに載せ出荷準備をします。

 

その他、原料を仕込んで製品を作る作業も行います。

トラックから物を下ろしたり、載せたり、原料や完成品を運んだりするのでほぼ毎日フォークリフトに乗ります。

何を作って、原料は何を使っているのかは企業秘密ですのでここには書けません。

 

仕事は朝早いですが、きっちり8時間労働なところなので、不動産会社時代のほぼ休みなし、毎日残業とは大違いです。

コンビナートの中の仕事は初めてです。

今までとは違い、「安全」にとことんこだわります。

 

会社の事務所以外では、必ずヘルメットをかぶります。

周囲確認しながらフォークリフトを運転します。

会社の中で安全標語や、製品に対する標語のコンクールがあります。

 

コンビナートの中はスピードよりもとにかく「安全」にこだわります。

現在はこのようなお仕事をしています。

定年までできたらいいなとも思っています。

趣味

プリウスドライブ

バス釣り

サッカー観戦

アントラーズ

鹿島アントラーズのファンです。
小学校の時からサッカーをやっていたので大好きです。
たまにスタジアムに観戦に行きます。

 

 

ブログの方向性

雑誌(付録)、パートワーク、コミック、ムック本、新書、ビジネス書、絵本はもちろん、実際に本を読んでのあらすじや感想文などを、元書店目線で書き綴っていきたいと思います。

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2023/06/25