文教堂ファンⅢ

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元書店員の独り言

3月11日が来るたびに東日本大震災の恐怖を思い出す

毎年3月11日がくると2011年3月11日の東日本大震災を思い出します

死者とかは出なかった地区ですが津波 地盤沈下などの被害に遭いました

私は当時茨城の文教堂に勤務をしていました

 

いつも通り本を棚に補充していた時です

ぐらっときて突然棚の本が一気に落ちてきました

こりゃハンパ無いと思いお客様を非常口に誘導しようとしました

でも店内のお客様は一気に店舗を出て駐車場に避難しました

本日は休業します

1回目の地震がありみんな避難した時、国道から何台か車が入ってきました

自動車を運転中の人は地震に気が付かなかったみたいです

車を降り店内に入ろうとしました

 

私はお客様に「今、地震で店内の本がすべて床に落ちて停電にもなっているのですみませんが今日は閉店になります」とお伝えしました

お客様は何で?という感じでした

あの震度6弱~7の地震でも運転中はあまり気が付かない事がわかりました

 

当時店舗の表の駐車場は電柱がたくさん立っていました

1回目の地震があった時電柱がブンブン揺れていました

電柱が倒れるか心配でした

まだ地震が来ると思い電柱が少ない店舗裏の駐車場に私とスタッフは移動しました

 

私は車のラジオを聞きました

茨城県南部は震度3とアナウンスしていました

スタッフと共に店内の本がほとんど棚から落ちて震度3はありえないと口をそろえていいました

数分後ラジオで訂正があります

先ほどの茨城県南部の震度は6強です6強と言いました

でもそれ以上あったと思いました

 

2回目の地震が来て立ってること自体きびしい

店舗の裏の駐車場に移動してまた地震がやってきました

1回目より揺れました

立ってることがきびしく座り込んでしまいました

 

今まで生きてきた中で初めての揺れでした

人間は本当にビビった時は声も出ないものだと知りました

もう何がなんだかわかりませんでした

 

揺れが収まり店舗に戻りました

棚の本はほとんど落ちていました

夕方まで時間はありました

これから床に落ちた本を棚に戻す気力はありませんでした

 

停電で信号機が作動していませんでした

夜になったら危険なので明るいうちにみんなで帰りました

 

メインの通り中心に帰宅しました

地震後の停電で信号機が作動していません

なるべくメインの通りを選びました

路地を廻ってしまうとメインの通りに出る時みんな止まってくれない理由です

 

橋を通る方はなかなか進まなく自宅に帰るのに30分のところ2時間かかったなどありました

私が通った橋は片側2車線だったのでいつもと同じくらいで帰宅できました

 

車が中央分離帯に乗り上げてる

震災の次の日の2011年3月12日朝に店舗に向かいました

店舗の近くのパチンコ屋の付近で中央分離帯に車が何台も乗り上げていました

その他にも気にぶらさがっている車もありました

 

そうです津波が来たのです

私の勤務する店舗の近くのパチンコ屋のあたりまで津波が来たみたいです

道路に海水が浸水してきたのでゴミも散乱していました

もし3月11日すぐ帰らなかったら津波で自宅に帰れなったかもしれません

 

ほとんど新規搬入みたい

店舗に到着し棚から落ちた本をまた元に戻す作業をしました

朝から停電は解消されました

しかし棚から本が落ちた状態なのでお店を開けるのは厳しかったです

まるでこれから新規開店する搬入をしてる感覚になりました

 

3月12日は夕方5時まで作業をしました

4人くらいで作業したのである程度片付きました

夕方まで作業をして思ったのですがその日の雑誌 書籍の新刊が届きませんでした

 

本部やトーハンに連絡したかったのですが電話が使えない状態でした

3月13日も雑誌 書籍の入荷はありませんでした

店舗がある市は浄水場が震災でやられたらしく断水状態でした

 

3月13日は出勤したのですが、震災の影響でスーパー コンビニで食料の棚がすっからかんの状態でした

食料の確保が厳しかったです

それ以外にもガソリンが入手できないのは痛手でした

私はプリウスを乗っていたので燃費が良かったのでガソリンの減りが少なく恵まれていたと思います

 

雑誌の棚がスカスカになるほど売れた!

3月14日からお店を開けました

朝10時から夕方7時まで営業しました

なぜ夜の10時まで営業しないかというと

スーパーコンビニで食料か手に入らない、水道が断水していて店舗のトイレが使用できない等があり

スタッフも大変という意味合いもありました

でもおかげ様でライバル店が閉店している間は売上は過去最高の伸びでした

特に雑誌コーナーはスカスカになるほど売れまくりました

その状態が約1か月続きました

 

店舗となりのパチンコ店のトイレを借りていました

震災より数日後からとなりのパチンコ店が始まりました

まわりが断水状態なのにこのパチンコ店のトイレは使用できました

実は毎朝水をタンク車で補給していたのです

当店のスタッフとお客様もパチンコ店のトイレをお借りしていました

パチンコ店の店長あてに「断水の間トイレお借りしますと」許可を取りました

 

通常の生活に戻ったのは4月末ごろ

自宅の断水は3月いっぱいだったのですが、店舗周辺の断水は4月末まで続きました

トイレはとなりのパチンコ店に大変お世話になりました

震災後は無我夢中だった気がします

 

震災中のガソリンはツイッターが便利でした

ガソリンの確保が大変でした

ハイブリッドカーのプリウスでもガソリンは減ります

ツイッターでOO市スタンドと検索すると

午後10時にタンクローリーが来るので10時30分より1台につき20リッターまでOKとか調べていました

一部給油の順番でもめたと言うのも聞きましたがみんな順番を守っていたと思います

 

まとめ

  • 3月11日は大きい地震が2度来た
  • 茨城県南部でも津波の被害はあった
  • 茨城県も被災にあったことはTVでほとんどオンエアされなかった
  • ガソリンスタンド情報はツイッターで!
  • ライバル店が休業していた期間は過去最高の伸びでした
  • 電気は翌日復旧したが断水が長かったのキツかった

最後まで閲覧ありがとうございました

 

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